■コスティキャンのゲーム論
●それで「ゲーム」とは結局のところ何なのか?
コスティキャンは、論の後半で「この論は完全ではない」と言っていますが、
まずはゲームを自分なりに定義してしまいます。
というのも、この「仮説」というのが重要なんですね。
ああだこうだ終わらない定義の議論をしながらも、まずは有力な説を叩き台
として出す。
「こうだ」と決めてしまえば、それに対して修正をかけることができますか
ら。これは科学的なやり方です。
こうして「定義の議論」と「実践の議論」が分離することで、学術的な場と
行動の場が明確になるわけです。
(あなたがほうぼうで見る議論が、どちらの議論なのか? その視点を持つと
面白いですよ)
この「コスティキャンのゲーム論」は学術的論文ですが、内容は現場により
近い、実践的な内容です。
というのも、現場で働く人は議論よりまず「ゲーム」そのものが完成しなけ
れば現実の生活が危うくなりますから、定義がどうであれ、作らなければいけ
ないのです。
現場とは、仮説を「強引にでも」検証していく場なんですね。
その検証の結果だからこそ、コスティキャンの仮説は非常に実践的であり、
説得力があります。
さてコスティキャンは、ゲームをこう定義してしまいます。
「ゲームとは、芸術の一形態であり、プレーヤーと呼ばれる参加者が
目標達成を目指して、ゲームトークンを介して資源管理のため
意志決定するものである」
…非常に抽象的ですね。
この文章は以下のように分解されます。
(理解するにはまず「分ける」こと、ですね)
−意志決定
−目標
−障害物
−資源管理
−ゲームトークン
−情報
それぞれの要素をこれから解説していきます。
が、その前に…。
考えて欲しいんですが、あなた自身が「ゲームとはなにか? どういう要素
が重要なのか?」と考えたら、どういう要素が出てくるでしょうか?
そう、
「自分なりのゲームの定義」
の仮説を出してみて欲しいんです。
コスティキャンの仮説は有用ですが、自ら「完全ではない」と言っているよ
うに、改善の余地はいくらでもあります。
逆に、インターネットが普及した今だからこそ、もっと堅牢なゲームの定義、
もっと面白くなるゲームの定義を作れるのではないか、と思います。
コスティキャンもそれを望んでいることでしょう。
それから、こういう定義はクリエイターひとりひとり違ったほうが、個性が
生まれ、多様性が広がります。
オタキングの岡田斗司夫氏は、ガイナックスではじめてゲームを作る時に、
まずゲームを
「ゲームとは紙芝居だ!」
と定義したそうです。
わからないからしょうがない、ゲームを作り慣れてる人からしたら笑われる
かもしれないが、自分なりの定義を持たないと、作る方向性が生まれない。
そう考えて、あえて「紙芝居」と定義したそうです。
(それで一連のヒットしたギャルゲーが生まれたそうです)
紙芝居って、「企画書の書き方−基礎編−」に書いた、例の○○効果のかた
まりみたいなものですから、そこに焦点を合わせたら、そりゃあヒットも生ま
れるなあ、と、私は思いましたね。
▼その効果はこちら
http://www.n2gdl.net/bookshop/plansheet/index.html
さあ、あなたもゲームを定義してみてください。
不完全でもいっこうに構わないんです。
今の知識で「こうだ!」と思うように定義して、あとは修正していけばいい
んですから。
そしてとりあえず定義ができたら、ぜひゲームのしくみに送ってくださいね。
面白そうな定義は、メルマガやサイトで紹介したいと思います。
↓ここで送って!
http://www.n2gdl.net/reviewform/reviewform.html
さあやってみよう!
(続く)
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