■コスティキャンのゲーム論

●障害物

 障害物がなければ、プレイヤーはなにも乗り越える必要がないので、ただ漫
然と画面を眺め、なにも考えずボタンを押しているだけでエンディングを迎え
てしまいますよね?

 これじゃあ、なんのためにゲームを買ったのかわからない。

 少なくとも、ゲームとして買った意味がわからなくなる。


 乗り越えるもの、チャレンジするものがないと、ゲームには「やりがい」が
生まれない。




 だから、ゲームには「障害物」がつきものなんです。



 コスティキャンは、この障害物の最たるものとして、「敵対」を挙げ、


 「ゲームにおいて「敵対」という要素は重要だろうか?」


 と問います。


 多くのゲームで、障害物は「敵対」するものとして表されます。

 というのも、他のプレイヤーを自分の頭脳で叩きのめすことに喜びを感じる
人が多いからなんですね。


 しかし、単に「敵対」する相手を叩きのめすことが、重要なのではない。


 その「敵対」する相手を倒すために「努力」することが重要なのだ…。
 そうコスティキャンは言います。



 ちょっと言い代えましょう。

 プレイヤーに乗り越えるべき壁(障害物)を用意し、努力をしてもらう。

 もちろん魅力的な目標があれば、プレイヤーはその壁を乗り越える努力、チャ
レンジをする回数が増えます。

 しかし本質的に重要なのは「魅力的な目標」なのではなく、そのために努力
をし、努力の末目標にたどり着いたときに感じる



「達成感」



が重要なんです。


 壁を乗り越えるためにしたすべての努力、かけた時間、自分にかけた
負荷は、達成することですべて「発散」されます。


 「発散」は運んできた重い荷物を降ろしたときのように、気持ちがいいもの
なんですね。




 人間は大きな負荷をかけられることを嫌がりますが、実は負荷をかけられ
た後で得られる、「負荷からの解放感」は大好きなんですね。





 ゲームは、積み上げた成果に対して、必ず「ごほうび」が用意されています
から、プレイヤーはそれをきっかけに努力をします。

(現実世界ではごほうびが明確でないことが多いので、努力に躊躇してしまう
ことが多い)


 要するにプレイヤーは



努力のきっかけ → 努力 → 達成感(開放感)



という流れが予定調和としてあると、分かっている。


 だから、スムーズに「努力」を始めることができるわけなんですね。


●障害物の種類とモチベーション

 努力に値する障害物は、「敵対」する相手だけではありません。


 物語のストーリーのように、大自然の猛威、邪魔な役人、交通事故、さらに
は主人公自身の葛藤といったものも立派な障害物になりうる…そうコスティキャ
ンは言います。



 解決するべき問題があれば、それはすべて障害物になるということ
ですね。




 そして、何をゲームの目標として設定するにせよ、プレーヤーがその目標に
向かって努力するように仕向けなければならない。


 実はこの「仕向ける」こと、モチベーションを与えることが、ゲームにハマ
らせる第一歩なんです。



  →ゲームを分析するときには、「このゲームの障害物は何か。それを
   克服する努力を強いる仕掛けは何か」ということを考えなければな
   らない。




 任天堂系のゲームは、このモチベーションをゲームシステムでうまく作り出
すことに成功しています。

 ファミコンが生まれてもう20年以上経ちますが、そのシステムは未だ健在
です。

 モチベーションを与える「しかけ」が秀逸なんですね〜。

(詳しくは「宮本茂論」で)
http://www.n2gdl.net/bookshop/miyamoto/index.html

(続く)

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コスティキャンの「ゲーム論」はこちら。
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